私が神を信じるのは

私が神を信じるのは
ひとつは、教会のお世話になったから。
私のような人間を受け入れ、
いつでも温かく迎えてくれる
牧師先生や教会の人達がいたから。
その人達が信じているものを
私はどうしても否定することが
出来なかった。

教会で学んだことも大きい。
宇宙の話はよく聞いた。
途方もない宇宙に思いを馳せると
自然と神に意識が向いた。
進化論と創造論の話も聞いた。
進化の証明というものは
全て創造論の立場から
説明できること。
いや、寧ろ進化論では
説明のつかないものでも
創造論の立場からなら
無理なく説明できて
しまうことなどを学んだ。

しかし、1番は「聖書」が
人間とは何かという問に
ひとつの明確な答を
与えているからだ。
つまり、人間は本質的に
宗教的であること。
神に立ち返ることによって
救われるということだ。
こんなことを言うと
「神など頼らない。余計なお世話だ」と
言われてしまうかもしれない。でも
これは実に理にかなった生き方ではないか?
「神の愛に守られている」という安心感。
人間が根源的に求めているものって
こういうものではないのか?
「他力本願」って馬鹿にするけど
そう言ってる人だって、心の奥底では
実はこういったものを
求めているのではないのか?
それはやはり人間が宗教的な生き物で
あるからだ。

神を信じたからといって
苦しみがなくなるわけではない。
人生の荒波は変わらない。
しかし、守られている。
「私は弱いときにこそ強い」
と言ったパウロの信仰は
それをよく現している。

仮にもし、明日、突然、
死の宣告を受けたとしよう。
愛する人を失ったとしよう。
おそらく、今まで大切だと
思っていたもの全てが
一瞬にして
色褪せたものになって
しまうに違いない。
お金も家も車も地位や名誉も
意味をなさなくなってしまうだろう。
しかし、そのような場面においても
「聖書」だけは、
僕の心の支えとなるだろう。

神と共に歩むというのが
本来の人間のあるべき姿だ。
人間とは「神と共に歩む存在」だ。
だからこそ、私は神を信じたい。
神のもとに帰ろう。

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