「死」について思うこと

今年も残りわずかとなりましたね。今年は有名人をはじめ身近な人でも多くの人を亡くしました。ホントに寂しいよ。。
生きるとは?死ぬとは?そんなことを悶々と考える日々でした。
また、自分自身の死を考える機会ともなりました。果たして自分は自分の死をしっかりと受け止めるということができるのだろうかと、、、。
ムツゴロウさんがかつて、テレビかなんかで「自分が死ぬときは、死にたくない、死にたくないと騒いで、みっともなく死んでいくんだ」みたいなことを語っていて、「正直な人だな」と笑いつつ、「それでいいんだよね」と心が軽くなったのを覚えています。
しかし、よくよく考えてみると、自分は、やっぱり、自分の死をしっかりと受け止め、(煉獄さんのように)納得して死にたいなと。慌てふためいて死ぬのは嫌だなと。やはり、ちゃんと「死」と向き合って死にたいと思うのです。自分の心臓の鼓動がだんだんと弱まっていくのを感じながら、それを冷静に受け止め、納得し感謝し委ねて死ぬのが理想です。ただ、そんな悟りにも似た境地に自分が辿り着けるのかと問われると自信はないですが。。
死の何がそんなに恐怖なんでしょうね。何故、こんなにも怯えるのでしょう。自分なりに考えてみると4つあるように思います。ひとつは、「存在が無くなる」ということですね。焼かれて灰になり、「自分はもうこの世には存在しないのだ」と考えたときの目眩にも似たあの感覚、誰にでも身に覚えがあると思います。
二つ目は「痛み」ですかね。ただ痛みに関しては今の医療をもってすれば殆ど心配する必要がないと聞いています。ありがたい。
三つ目は、「経験したことがない」というのがあると思います。未知のものに恐怖を抱くのが人間ですから。
そして、四つ目なんですけど、これはかなりクリスチャン的な考えにはなるのですが、「死」というものが人間の本来の姿ではないからだと思うのです。即ち「不自然さ」からくるものではないかと。
まあ、色々あるとは思いますが、どちらにしても「死」は必ずやってくるものだし、一度は経験しなければならないものです。ですから、そのための準備や心構えは否応なしにしなければなりませんね。「人は生まれながらにして死刑囚」とはよく言ったものです。

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