安息日に

安息日
あれをしちゃいけない、
これをしちゃいけない、
という発想はもうやめにしたい。
なんにも祝福されない。

寧ろ、
安息日だからこそ、
あれをしよう、これをしようと
積極的な発想に切り替えるべきだ。
そのほうが
よっぽど祝福されると思う。

一部の人から批判される
かもしれないが
安息日だから試験を受けない、
安息日だから大事な試合に出場しない等々、
よく耳にする事だけれども
これもどうなんだろうと、僕自身は正直、
思っている。
いや、勿論、そういう場合もあるだろうが
果たして全部が全部そうだろうかと。。

寧ろ、

安息日だからこそ、試験に臨むんだ。
安息日だからこそ、試合に出場するんだ。
そういう積極的な場面もあるし、
あっていいんじゃないかと。

個人的には
安息日に大事な試験や試合に臨む、
これ程、神と対峙する機会はないと思っている。
寧ろ、それこそホントの礼拝だとすら
思ってしまう。

それでも迷いはあったから
そう言うときは
エス様ならどうするか
なんておっしゃるか
思い巡らせるのだけれども
どうしても、どう考えても
それを否定するイエス様の姿を
思い浮かべることはできなかった。

エス様の言動や行いと
照らし合わせると
寧ろ、優しく背中を押して
くださるとしか思えてならない。

エス様はいつでも
見えるものにではなく
見えないものに目を注いでおられた。

安息日に神殿の境内で羊や鳩
(ささげもの)を売って
商売していた者達には
激しく怒かられ、叱責なさったが
一方で、「安息日に穴
に落ちた羊(自分の持ちもの)を
引き上げないものがあろうか」とも
おっしゃっている。

安息日は人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。」(聖書)