こう生きなさい

「宗教」・・・「こう生きなさい」

そうなんだけど
少し説明を加えたくなった。
(間違ってる可能性もあるので
訂正、補足、追記大歓迎です。)

確かに「神が言われたからそのようにする」
というのは宗教的態度だ。
しかし、そこだけを強調し
個々の人格を無視して
有無を言わせずただ黙って
従うことを強要することが宗教だと
受け取られてしまうとしたら
それは残念だ。

もしそうであるとするならば
「宗教」は「道徳」以下だろう。
寧ろ、何が「善」かを
考えるだけ道徳のほうがましだ
と言うことになる。

宗教の概要をざっと説明すると
次のようになると思う。

「真」「善」「美」の価値をいちいち
突き詰めた先に「聖」という価値がある。
そこに心を奪われ、自己を捧げ、従う決心を
することが宗教的態度だ。
そして、それが文化として現れて
「宗教」となったのである。

ところが
聖(神)と人との間には
人間の努力を越えた大きな
隔たりがある。
それが「罪」の意識として
芽生え「他力本願による救い」
という宗教の根幹をなす
教えにたどり着くわけである。

よく、
宗教は直ぐに人を罪人扱いする
と批判されるが
宗教の言う「罪」は法律を破る
と言うようなものとは
少し次元が違う。

もっと言ってしまえば、
宗教の「罪」の定義にあてはめれば
悪人には「罪」がないとも言える。

親鸞が「善人なおもって往生を遂ぐ
いわんや悪人をや」と言ったことも
エス様が「わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである」
と言ったのもそこを理解して
初めて分かる言葉である。

そして、その罪からの解放として
「自我を神に明け渡す」という行為、
つまり、自分の力ではなく
神の恵みによって救われるという
他力本願の境地へとたどり着くのである。
それが宗教であり宗教の真髄だと僕は思う。

よって、宗教は単なる
神から人への命令による関係ではない。
そうではなくて、
神に歩み寄りつつ、それを超えた部分に
ついては全て神に委ね信頼しているという
関係と言えるだろう。

その意味において
上の言葉、

「宗教」・・・「こう生きなさい」

と言うのであれば
まあ、いいかなと。

http://healthbeautyadult.sblo.jp/article/186593120.html?fbclid=IwAR14c6U3B4wqRhxw7nDgHZ3f7DqNIc_EwlNtqkX1lLTf5PjHdaRUvjMOP3o

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