「神を信じている」と言えば笑われ、
「神がこの地球を創造された」と言えば馬鹿にされる。
僕が映画、『えんとつ町のプペル』を見て勇気付けられたのは
そういう背景があるからかもしれない。
ルビッチの言葉、
「あの煙の向こう側を誰か見たのかよっ!
誰も見てないだろっ!?
だったら、まだ分かんないじゃないかっ!」
は僕の気持ちをダイレクトに代弁してくれている。
いや、ルビッチだけでなく、
ルビッチのお父さんの言葉
「『ありやしない』と思ったが、
『まったくない』とも言い切れない。
なぜなら、誰も行ってない」
も嬉しかった。
今、日本人の大部分が「進化論」を信じている。
しかし、進化論が正しいと考えるのは、
科学的根拠をみたからではない。
「そう教えこまれてきたからだ」というのが正確だろう。
えんとつ町の人々が空の上に星などないと
教え込まれ、それを信じ切っていたのと同じ状況だ。
「進化論を一番信じているのは高校の先生あたりだ」
なんて話もある。
教科書では、
「突然変異→自然選択→隔離を
繰り返しながら長い年月をかけて
新しい種が形成された」
と教えるがそのような事実は
まだ確認されていない。
小進化をもって大進化を説明するのは
乱暴すぎると思う。
また、進化の証拠と言うものも沢山あるが
それらは創造論の立場からでも説明ができる。
例えば、形態や骨格が似ていることを
進化の証拠としてあげているが
創造論の立場からすると、
それが理想的なデザインであれば異なった生物に
似たようなデザインを用いるのは当然だよね
という話になる。
そもそも、
そんな難しいことを考えなくても
普通に考えて、
この世界が偶然にできたと
考えるほうが僕には難しい。
家を見て、この家が偶然にできたなんて
考える人は誰もいないのに、
人間やこの世界は偶然にできたと
簡単に信じているのである。
「神がこの世界を造ったんじゃないって、
誰か見たのかよっ!
誰も見てないだろっ!?
だったら、まだ分かんないじゃないかっ!」