公立学校で聖書の授業を義務化通達 米オクラホマ州の教育長「歴史的、文化的な規範」の記事を読んで
個人的には、公立校で特定の宗教を義務付けることには反対です。というのは、宗教は本質的に義務化されるべきものではないからです。宗教が強制力を発揮したとき、その本質から大きく外れてしまうことは歴史上明白です。
ですので、学校教育においては特定の宗教を教えるという形をとるのではなく、むしろ宗教的情操を養うことに注力してほしいです。
かつて、ピタゴラスは三平方の定理を発見したとき、思わず神様に出会ったような気がしてその場にひれ伏したと言う逸話があります。そのような体験こそが宗教的教理を教えることよりも遥かに大切なことだと考えます。それは、単なる知識として学ぶということではなく、自然界の神秘や法則に触れて感動するということ、そして、その背後にあるものを感じ取るということです。
そもそも、聖書に限定して教えるとして、異なる宗教的背景を持つ子どもたちはどうなるのでしょうか。おそらく、その子達は肩身の狭い思いをすることなるでしょう。この政策はそういった子どもたちに対する配慮が欠けていると思います。
どちらにしても、宗教が強制力を持ったとき、その本質を失うので、間違った方向に向かってしまう危険性があります。