メインテーマ(補足)

だけど、、「神は愛です!」なんて通行人の迷惑も顧みず秋葉原の交差点で叫んでる人達をみると、、、それも違うじゃないかなと思ってしまう。
どんな人達が聞いているか分からないし、
もしかしたらその言葉で深く傷つく人もいるかもしれない。そう簡単な話じゃないんだ。何故なら、世の中、神の愛を疑いたくなるような出来事で溢れているからだ。真面目に生きているのに理不尽な苦しみを負わなければならなくなった人達が沢山いる。そういう人達に向かって、「神は愛です」なんて軽はずみに言うことは出来ない。
そもそも、聖書そのものだって、読んでみると分からなくなることばかり。例えば、イエス様の降誕ひとつとってもそうだ。私達、クリスチャンはそれをを神の愛の現れとして捉えるけれども、イエス様がお生まれになったことによって、ベツレヘム中の2歳以下の男児が皆殺しにされてしまったのも事実である。もし、それが自分の子だとしたらと考えたときに、それでも「神は愛である」と果たして言えるもだろうか。考えこんでしまう。
でも、聖書ってそういう書物だ。そういうこともひっくるめて「神は愛であるか」と問うてくるのが聖書なのだ。