メインテーマ

「信じる者は救われる」
この言葉、正直、大嫌いだ。
信じたら救われる?
信じなければ救われない?
申し訳ないが
キリスト教の本質からかけ離れて
いるように思う。
勿論、「信仰による義」を
疑うつもりはないし
一応クリスチャンなので
信じてるつもりだ。
だけど、
何を全面に出すかで
意味が大きく異なってくると
思うのだ。
「信じるのもは救われる」
というのが
キリスト教の本質だと
するならば、キリスト教
人を裁く宗教だ。
この言葉には
信じている自分達は正しくて
信じていないあなたたちは
間違っているといった
裁きのニアンスが
どうしても含まれている。
宗教間の醜い争いも
案外、この裁きの思想が全面に
あったからではないか?

では、聖書のメインテーマとは
何だろう。

僕は「神は愛であるのか、ないのか」
ということではないかと思う。
聖書はこの問いから始まるし
旧約も新約も一言で言えば
この問いに集約できると思う。

「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」
ヨハネによる福音書 5:39