人の完成

今は幾らでも信仰告白のできる時代。
これが一昔前なら
火あぶりか打ち首か。。
そう考えると
いい時代だなと思う。

だからこそ、できるだけ多くの人に
キリスト教に触れてほしいと願う。
しかし、

だからといって
入信しろとは全く思わない。
別に教会など
行かなくてもいいと思う。

だけど、例えば
死の間際や
人世の最後の時に一瞬でも
思い出してくれればと思う。
それで十分だ。

(それは聖書でも保証されている)

宗教は人間の力では
解決できないものに解決を
与えるもの。
よって、「死」の問題や
「降りかかる不条理」に
解決を与えられないとするのなら
それは宗教の名に値しない。
何の意味もなさない。

神と自分という相反するもの
絶対的隔たりがあるものが
そうであるにも関わらず、
間違いなく結びついているという確信、

それが宗教的体験であり、

(これは説明ではたどり着けない世界だ。)

悟りの境地であり、

人の救い、
人の完成である思う。